①「自然はどこにでもある —自然の見つけ方を学びましょう―」 TED-書き起こし エマ・マリス
TED講演 書き起こし(もとの動画は以下です)
私たちは子どもたちから自然を奪っています。
これは自然破壊が進み「自然を保護してくれていたら」と子どもたちが思う日が来るという意味ではありません。 ただ残念ながら、その可能性もありますが、私達は長い間とても純粋かつ厳密に自然を定義してきました。 私達が作り上げてた定義に従うと今の子どもたちが大人になる頃には、自然は残っていないでしょう。 ですが、この結果は変えられます。 説明しましょう。
現在、人間は世界の半分を使って生活し、作物や材木を育て家畜を放牧しています。 もし、人間を全員まとめたらそれはすべての野生哺乳類の10倍の重さになるでしょう。 私達は森を切り開き、道を作りました。 私達のせいで、砂浜にはプラスチック粒子が混ざりました。 私達は化学肥料を加えることで、土の化学構造を変えました。 それから、空気の化学構造も変えました。 だから、皆さんが次に吸う息には1750年の空気と比べて二酸化炭素が42%多く含まれます。 これらを含むいろいろな変化は「人新世」つまり人間の時代という名前の下にまとめられます。 この用語は地球に与える人間の影響が大きいことから数名の地質学者が現世に与えるべきだと考え提案した名称です。 まだ提案中の名称に過ぎませんが、地球に対する人間の影響力の強さを考えると意味あることだと私は思います。
では、自然はどう位置づけられるでしょうか? すべてが人類に影響された世界において何を「自然」と呼べるでしょうか? 25年前 環境作家であるビル・マッキベンは言いました。 「自然は人間とは別のものだ」と そして気候の変化は人間が地球全体を変化させたことを意味するので、「自然は終わりを告げたと」こう言ったのです。 実際に彼の著書の題名は「自然の終焉」です。 私はこの考えに反対です。まったく賛成できません。 このような自然の定義には同意できません。 本来、私達は動物だからです。 そうですよね? 私達はこの地球で進化する過程で、あらゆる動物、植物、微生物とこの惑星を共有してきました。 ですから自然とは、人間に触れられたことがないものという意味ではないと私は考えます。 私の考えでは、自然とは生命が繁栄する、あらゆる場所・複数の種が存在している場所 そして草木や水があり、生命に満ち、生命が繁栄し、成長する場所です。 自然をこのように定義すると、すべてが少し違って見えてきます。
確かに私達に特に訴えかけるような、自然があることは分かっています。 イエローストーン国立公園やモンゴルの大草原地帯、グレートバリアリーフ、セレンゲティ国立公園、このような場所は人類がすべてをめちゃくちゃにする以前のエデンの園のような自然の姿だと思われています。 こういった場所は人間の日常的活動からあまり影響を受けません。 例えば、このようなところは大抵、まったく道路がないか、ほとんど無いからです。 しかし、最終的にはこのような楽園でさえ、人間の影響を大きく受けるのです。
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