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②「外来種は本当に悪者か?」の巻末解説の解説を巻末解説者にしてもらった

巻末解説は以下の出版社のwebサイトから引用しました。 


巻末解説

 その理解からすれば、生態系から離脱した種(外来種となった種)は、バランスを喪失する。重要な構成種を失った生態系も、崩壊する。外来種群によって攪乱される生物群集・生態系はさまざまな混乱を生じ、崩壊することもあるということになる。中世的ともいうべきそんな生態理解のもとで自然保護を論ずれば、守るべき価値のある種は、〈在来種〉であり、〈外来種〉はなんであれ忌避されるべき存在、回復されるべき自然は、本来その場に歴史的進化史的に共存すべき在来種の作り上げる生物群集=原生自然=手つかずの自然、「外来種」は除去・拒否すべきという実践指針がうまれてしまうのは、理の当然であったというほかない。 

 植物群落の再生にあたっては、公園であれ、防災林であれ、「潜在自然植生」というまかふしぎな種がしばしば実証も無視して珍重され、同じメダカであっても、地域固有であることが遺伝子分析で推定されるものは絶滅危惧種だが、ペットショップ由来のメダカは、除去・排除の存在でしかないというような、我が国の自然保護の現場の理解も、実はそんな中世的な生態理解の産物なのだと言って、たぶんあやまりではないはずである。

  しかし、予想される通り、そんな中世的な生態理解はもはや生態学の前線の正統ではなくなり、さまざまな批判、対抗理解によっておきかえられつつある。それに対応して、自然保護の理解、「外来種」「在来種」の理解、評価も、到底一枚岩でない状況となった。「外来種はなんであれ排除せよ、より古くから固有と認定される在来種こそ保全されるべき」という常識的な自然保護論は、現代生態学の領域ではすでに四方から批判され、吟味されるべき、過去の命題となっているのである。





巻末解説者の解説  

岸先生’s 解説 ③

 例えば、池に様々な動物や植物などの生きものがいて、それぞれがそれぞれの種の相互関係の中にいる(=ニッチという特別な地位が与えられている)とする。そんな池に外来種が入ってくると、ニッチを奪われてしまう=ニッチが崩壊してしまう。=生態系が崩壊・壊れてしまう。という発想をしている人が多いよね?  テレビとかでもある池にアメリカザリガニが入ると、生態系が滅びるとか壊れるということをやたらと聞くことがあると思う。 そういう理解からすれば、生態系を壊してしまう外来生物は全部取り除かないといけないということになる。とってもわかりやすいものになるんだ。 でも、本当に生態系は崩壊するのかな?破壊するのかな?それは違うと僕は思う。崩壊や破壊ではなく、生態系が変化する。崩壊された生態系、破壊された生態系というのではなく、変化した産物という理解。 例えば、大きな池にカダヤシが入ったから生態系が崩壊する。大きな池にキショウブ(園芸種)が入ってきたから生態系が壊れる。それ本当のことなのかな? それでも、池で外来種を見つけたら、なんでも駆除する!という発想に多くの一般市民がなっている。それはおかしいという人が極端にいない時代になっている。 



巻末解説者のメモ

Memo 〜メダカ〜  

僕の活動する横浜には横浜メダカというのがいます。横浜メダカは更に細分化されて、横浜の小学校で飼育されています。しかも、他の地域のメダカと混ぜてはいけないということで、隔離されて飼育されています。僕が活動する鶴見川などには誰が捨てたのかわからないメダカがたくさんいます。僕は思うんだけど、夏に使い終わった学校のプールに横浜メダカを放流して、ドンドン増やしてそれを一斉に川に戻すと、数年で川のメダカの遺伝子の多くは横浜メダカの遺伝子に変わると僕は思っています。なんでやらないの?と聞くと、ちょっとでも混ざったら遺伝子汚染(!!)するという考え方が浸透しているから、だれもやらないのです。それを束縛しているのが、中性的な生態理解なんだとぼくは思います。  



Memo 〜中世的な生態理解〜  

中世の自然理解を示していて、この世にあるものすべて神様の設計によって作られたもので、存在するすべての生きものはつながっていて、神様の定めた位置で階層秩序で仕事をしているという考え方=自然の摂理のこと。つまり、自然の摂理から生きものを取り除くと、自然の摂理が崩壊するかもしれない。自然の摂理に他から生きものを加えると、自然が壊れる。さっき言っていた、生態系が壊れるとかとよく似ているよね。中世の世界の自然の理解を今でもしているということなんだ。



Memo 〜潜在自然植生〜

 その地域の遷移の秩序の最終形態の極相という森を構成する木々のことを言う。潜在自然植生とはありとあらゆる意味で、人間にとっても、生物にとってもいい森になるという考え方。  


巻末解説者