①「自然という幻想」の巻末解説の 解説を翻訳者にしてもらった

巻末解説は以下の出版社のwebサイトから引用しました。 






  巻末解説

 世界の自然保護は、大論争と新しい希望の時代に入った感がある。人の暮らしから隔絶された 「手つかず」の自然、人の撹乱を受けなかったはずの過去の自然、「外来種」を徹底的に排除した自然生態系、そんな自然にこそ価値ありとし、その回復を自明の指針としてきた伝統的な理解に、改定をせまる多様な論議・実践が登場している。 

 ここ10年ほど、その新時代を展望する出版が英語圏で目立っている。一端は関連の翻訳書(ピア ス『外来種は本当に悪者か』〔草思社〕など)を通して我が国にも波及しているが、実は2011年に出版された本書の原書Rambunctious Garden: Saving Nature in a Post-Wild World (Bloomsbury)こそ、 新時代到来を告げた本だった。著者エマ・マリスは、ネイチャー誌をはじめとする専門誌を舞台に、崩壊する古い論議、新しい実践、そして新しい自然のヴィジョンを丹念な取材にもとづいて紹介し続ける、新時代の卓越した環境ライターだ。

  マリスによれば、見直しを迫られる過去の理論、思想、ヴィジョンは、イギリス生態学に起源をもつ「外来種」関連の分野をのぞけば、大半がアメリカ産だ。手つかずの自然への信仰を支える生態学的平衡理論として知られる「遷移理論」は、20世紀前半アメリカの生態学から生まれた。極相 群集のバランスを理想化したその理論は、間もなく学術的威信を喪失したが、主張の宗教的な核心は、自然保護の世界やその後の生態系生態学、数理生態学の一部にも引き継がれ、教育・啓発の現場をとおして現在まで影響力を保ってきた。それらも、温暖化による地球生態系の壮大な変化の時代を迎え、いま改めて批判と検証に直面している。また、森の聖者D・ソローの思索や、イエローストーン国立公園の歴史に見られるような「ウィルダネス」(人為を遮断した野生)への信仰も、19世紀アメリカの都市化の歴史に固有な自然賛美が生み出したものだ。

  そして今や、先史時代からの人類による自然攪乱の歴史が常識となり、また温暖化でもはや生態 系は不可逆的変化を続けるほかないと明らかになってきた。そんな現在においては、世界のはて、遠い過去に存在するはずの「手つかずの自然」への信仰、さらにはそんな自然を回復することこそ 自然保護の王道とする主張は、理論的にも実践的にも困難になったとマリスはいう。「外来種」の危機を一方的にあおる主張についても、理論的・実証的根拠が盤石でないことをしめす事例が丹念に紹介されるのも、当然の展開である。

  しかしマリスがもっとも重視するのは、精緻な理論や研究ではなく、「価値ある自然」「保護されるべき自然」と人々が了解する領域をめぐるヴィジョンの転換である。 「手つかずの自然」にこそ価値ありとされた伝統的なヴィジョンの 中の「自然」は、今となっては「幻想」だと自覚せざるを得なく なった。私たちが注目するべきは、町の一角の草地、都市河川の 川辺の工業地域の緑、農地や再生のすすむ森等々、人々の日々の 暮らしの背景にある自然だ。そこから地球に広がってゆく大地そ のものなのだ。そこから新しい自然保護ははじまると、判然と理解 するゲシュタルト的な転換をこそ、マリスは呼びかけているので ある。  



巻末解説者の解説

POINT 1

つまり、今までの自然への価値観=遠くの手つかずの自然がありがたい!と思っていたものが、工業地帯の脇の外来種だらけのくさっぱらも自然だと思うと、一気に自分の 中の自然観が変わりますよね。マリスはこれを伝えたくて、TEDなどでも同じような意見を言っていますね。


解説その1

ゲシュタルト的な転換とは、物事が根本から変わること、例えば、自分が普段見えている視野の中に、自分の鼻は見えていない。しかし、自分の鼻はいつも見えている。つまり、人は自分の鼻 が見えているが、見えていないということにして普段生活をしている。しかし、自分の鼻が見えているということを意識すると、常に鼻が見え、今までは見えなかったことにしていることに気づく。だまし絵などで見方を変えると、一気に見え方が変わってくるということも同じ。 



 



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