今週の新着動画


その2 「外来種が悪い・悪くない」という 二者択一の問い方をやめてみる

「外来種が悪い・悪くない」という 二者択一の問い方をやめてみる 


▼二者択一のワナ・問い方のマジックに引っかからない 

外来種について考える前に一つ、前提としておさえておくべきものを紹介します。

哲学の世界で有名な考え方ですが、熊本大学准教授の苫野一徳さんは「問い方のマジック」にひっかからないようと言っておられます。


「問い方のマジック」とは何でしょう? 良い・悪いなどの二者択一でどちらかが正解であると思わせるような問い方です。


「1+1=2と、1+1= 3、どちらが正しいか」という問いであれば、それは問うまでもないことです。正解が明確にありそうな問いと白黒つけがたい問いがあることをまずは理解しましょう。


 ちなみに、こうした究極的な選択の是非を問う問題は、わたしたちの身近でもよく出会うものです。こうした問題は、ある状況を設定したうえで「正しいか、正しくないか?」と問うことで、人の行為には、いついかなる時も絶対に正しい選択=答えがあるかのように人を錯覚させてしまいます。


そして、その場その場に応じて柔軟に行動するというしなやかな発想を奪ってしまうのです。 私達が白黒つけがたい問いと出会った場合、それが白黒どちらであるかを、絶対的に決定してしまうわけにはいかないはずなのです。 


つまり、「あちらとこちら、どちらが正しいか」と問うことをまずやめようということです。  


例をあげて説明しましょう。

苫野一徳さんの著書「勉強するのはなんのため?」には以下のように紹介されています。

 「学校の勉強は、実生活を送るうえで役に立つか、それとも立たないか?」 …

さて、みなさんはどう思うでしょうか? 「なんで勉強なんかしなきゃいけないんだろう?」という問い方を「学校の勉強は、実生活を送るうえで役に立つか、それとも立たないか?」に変えて問うてみました。 これが、わたしの言葉でいう「問い方のマジック」です。つまり、「あちらとこちら、どちらが正しいか?」という、二者択一問題のことです。学校の勉強 は、実生活で役に立つか、それとも立たないか。そう問われると、わたしたちは思わず、どちらかが正しいんじゃないかと思ってしまいはしないでしょうか?でも、この問いはどちらかが絶対に正しくて、どちらかが絶対に間違っているというような問いではありません。実生活で役に立つものもあれば、あんまり立たないものもある。というより、それは人によって違うから、まさに「一般化」できない問題なのです。」 (「勉強するのは何のため? 」日本評論社)