外来種が悪いとか 悪くないとかを越えて
外来種が悪いとか 悪くないとかを越えて
私たちが吸い込んでいる空気には1750年の吸気に比べて36%も多い二酸化炭素が含まれていて、地球規模で気候が変動する現代、すでに戻すべき過去の自然というものは地球上どこを探してもないのではないでしょうか。
地球温暖化による地球規模の環境改変によって、手つかずの自然などは地球上に存在しないというものです。 自然とは常に変化しつづけます。
その理解を大前提とすると、今も自然は変化し続け、同じ自然は再び現れないのです。それを無視して、過去の自然へ戻すために多額の資金を投じたとしても、それは正真正銘過去の自然ではないのです。
「手つかずの自然が存在しない地球、守るものはもう無いのか、、、」と落胆する人もいるでしょう。
しかし、手つかずの自然=自然ではなく、人の手が入った自然も、外来種がいる自然もすべてふくめて、自然であると、イメージを少し変えてみると、皆さんが日々暮らす足もとから自然があふれてきます。
例えば、身近な川でしたたかに生きる魚に目を向けてみると、初夏に大阪湾からたくさんのアユが大和川をのぼって石川流域までやってきます。
絶滅が危惧されているカワバタモロコという魚も学校や幼稚園のビオトープ、個人の家の庭先の池、お寺の庭園池などでしたたかに命をつないでいます。
ザリガニがたくさんすむため池に残されたカワバタモロコやメダカ、外来植物のセイバンモロコシがはびこる河原で懸命に生きるカヤネズミ、
畑のニンジンで一生懸命生きるキアゲハの幼虫、
住宅の庭先に飛んでくるクマゼミなど、
それらすべて自然という事になり、都市に住もうが、田舎に住もうが、どこでも足もとから自然が広がります。
今までの自然環境保護は過去の安定した自然を回復目標として、そこを目指すことが善とされていたような気がします。しかし、それが本当に善なのでしょうか。
具体的にイメージしてください。皆さんの住んでいる家の庭で自然回復をおこないます。どのような自然が戻すべき過去の自然なのでしょうか。
そして、その自然へ戻すためにどれほど多額の資金と時間が必要でしょうか。 本当に過去の自然は安定していたのでしょうか。 そして、過去の自然に本当に戻すことができるのでしょうか。
失われつつある自然を守るだけでなく、その場所その場所を利用する多くの人がこの場所の自然の目的・目標を共有し、自然を増やしたり、つくり出したりすることにも価値を見出すことができる。
このような考えをもとにすると、どこでだって、誰だって自然保護はできるようになります。自然保護は素人が関われない難しいものではありません。
そして、新しい生態系がどのような振る舞いを見せるのか、新しい生態系をしっかりと調査し、追跡する研究が大事となるのではないでしょうか。
つまり、人がこの地域にどのような自然をつくり、どう活用し、どのような価値を持たせるのかある程度計画し進めていくことが重要になります。
近頃、ため池の水を全部抜いて・・・などのTV番組が人気を博しています。
そんなテレビを見ていると、「コイは外来種!」「ゲンゴロウブナも外来種!」などという言葉が出てきて、オオクチバスやアリゲーターガーなどと同じような扱いで取り上げられています。
そんな様子に少し疑問を持っている人も少なくはないのではないでしょうか。 「コイも悪いやつだから、川にいたらダメ!」「見つけたら駆除しないと!」と思っている幼い子どもも少なくはないのではないでしょうか。
この展示でも紹介したように、外来種は私達の身の回りに沢山いるのです。
それら外来種をすべて一律に理解していることはありませんか?
外来生物法で規制されている「オオクチバス」と規制されていない「ゲンゴロウブナ」「コイ」を同じように扱って良いのでしょうか。
みんなで考えよう!
世間で聞く外来種とは法律にのっていないものも外来種としてあつかっています。 その法律に記載されていないものをどう扱うのか、そこは皆さんで考えないといけない領域です。 特定外来生物の考え方が広まり、外来種は何でもかんでも「悪」だと言う人が現れたりする現代、本当にそのままで良いのでしょうか。
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