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②「自然という幻想」の巻末解説の 解説を翻訳者にしてもらった

巻末解説は以下の出版社のwebサイトから引用しました。 



 巻末解説 

そんな「自然」を私たちはどう呼ぶのか。「新しい」生態系、「新しい」野生などという呼び方もあるが、マリスはさらに挑発的だ。局所的擬似的に「手つかずの自然」を模倣したものも含め、今や自然はすべて人の干渉・管理のもとにある「ガーデン(庭)」となった。在来種ばかりでなく多様多彩な外来種もそこには含まれる。自然をこのようにとらえれば、失われつつある自然を守るだけでなく、さまざまな目的・目標で自然を増やしたり、つくり出したりすることにも価値を見出すことができる。このような考えをもとに、私たちの暮らしとともにあるリアルな自然保護のあり方を、マリスはrambunctious garden(直訳すれば「ごちゃまぜの庭」)と呼び放つ。 訳者としてはこの言葉の訳が思案のしどころだった。本書ではこれを「多自然ガーデン」と訳す ことにした。「多自然」という表現は、日本国の河川整備の領域において、それぞれの土地の自然と調和した多様な河川計画のあり方を意味する「多自然(型)川づくり」という言葉で使用されてきた歴史があり、いまも広く使用されている。関連の行政の仕事も含めこの言葉に長く親しみ有用性を自覚してきた私も、日々愛用する表現であり、たぶんマリスの意図にもよく沿うはずの日本語と判断して、ここに採用するものである。この訳語に、一部の識者・活動家に反発のあることは承知だが、日本国雅楽の創始者の名前が多自然麿(おおのじぜまろ)と知れば、列島の日常の自然を愛する市民には、やがて良い日本語であると優しく理解されてゆくと思うのである。 では、多自然ガーデンは、どんな方法で自然保護をすすめるのだろう。残念ながら本書は技術や 理論の詳細を論じる書ではない。マリスは多彩な実践を紹介することで多様な選択肢を例示する方法をとる。ハワイでの在来植物保護の努力、原始の森と錯覚されるビアロウィエージャの森の生態系保全の現状、過去の生態系の大規模復元を目指すオランダの実験、外来種の大規模導入が新たな生態系を生み出したアセンション島の歴史、シアトル中心部ドゥワミッシュ川流域における産業・都市・自然共存の試み等々。旧来のヴィジョンに沿って苦悩の続く例も、新しい勇気ある実践も、読みごたえがある。 大小の事例を通して示唆されるのは、賑わう生きものに優しく、生態系サービスが機能し、過大 なコストをさけられるな  ら、自然保護の目標は多様でいいというヴィジョンであ る。代理種を利用して過去の生態系の模倣をめざす、温暖化の速度に適応できない種の管理移転をすすめる、在来種の厳正保全のために外来種を徹底的に排除する方式も局所的にはあっていい。 



巻末解説者の解説 

その2

多自然とは僕は、安全で魅力的で生物多様性が豊かな自然の新たな創出や管理を多自然としています。 

  

その3

基本的には過去の手つかずの自然を絶対視せずに、何でもありで考えたらいいじゃないかというものなんです。別の言い方で言うと、地球の温暖化や都市部の都市化は止まらないなら元の自然に戻すというのは現実的に不可能だから、変わっていくものに合わせて、生物多様性が豊かで、安全で、美しくて、生態系機能もしっかりとしているような自然を作っていくしかない。 例えば、国の制度として自然保護区を設けて、そこには外来種は全力で排除して維持できる限り、現状を維持していこうというのはそれはそれで良いこと。一方、大和川とか石川など都市部の自然で、外来種がいても在来種と外来種がごちゃまぜで暮らす安全で快適な自然を目指しても良いこと。つまり、手つかずの自然が偉いとかではないということなんですね。  


POINT 2

過去の手つかずの自然に戻すこと一択ではなく、それぞれの場所をどのような自然にしていきたいのかそれぞれの場所に関係する人々が合意形成し、選択していっていいじゃないか!ということなんですね。 言い換えると、100年前の自然を多額のお金をかけて戻しても良いし、外来種が中心的になって新しい世界をつくるというのもそれはそれでいいじゃないかというものなんですね。 どっちがすごいとか無いよということを言っているのですね。 


巻末解説者